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井伊直虎のゆかりの地とは?

寺

 

 

井伊家の菩提寺で、井伊直虎が出家したときに過ごしていたのが「龍潭寺」です。境内には初代・共保(ともやす)から24代・直政までの井伊家歴代宗主の墓所があります。

 

 

 

井伊直虎の墓所は、許嫁であった井伊直親のとなりにあります。龍潭寺の庭園は、国指定文化財名勝記念物に指定されている名園です。江戸時代初期に庭園造りの名人・小堀遠州が作り、春にはさつきの花、秋にはつつじの紅葉が楽しめます。

 

 

 

庭園に面した廊下等に座り、ゆったりと眺めることができます。また、龍潭寺の近くには、井伊直虎が創建し、晩年を過ごしたとも言われている「妙法寺」があります。

 

 

 

妙法寺は通常誰もいなくて、檀家さんたちで管理されているそうです。境内には特筆すべきところはありませんが、井伊直虎の位牌が本堂に安置されています。今後、公開されることを期待したいですね

 

 


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井伊直虎の城・井伊谷城(いいのやじょう)

 

 

平安時代に井伊家が誕生し、江戸時代初期に井伊直政が彦根藩主となるまで、井伊家の本拠地だったのが「井伊谷城」です。標高115mの丘陵に築かれた城館で、現在は井伊谷城跡城山公園として整備されています。

 

 

 

お城というと天守閣を想像される方もいると思いますが、もともと井伊谷城に天守閣はなく、城館があったとされています。現在は城館もなく、土塁がわずかに残されています。

 

 

 

城館があった山頂からの眺望はよく、井伊直虎が領主となった井伊谷がどんなところか、一望できますので、直虎さんの時代を想像し、しばし物思いにふけるのも良いかもしれません。

 

 

 

井伊谷城の登城口からほど近くに「井殿の塚」があります。井伊直虎の祖父・直宗の兄弟である井伊直満と井伊直義を供養するために建立されたものです。

 

 

直満・直義兄弟は、家臣の小野道高の讒言によって謀反の疑いがかけられ、今川義元に呼び出され、殺されてしまいます。井伊谷の里の人たちがこれを憐れみ、供養のために築いたと言われています。

 

 

 

そのことからもよくわかるように、井伊家が井伊谷の人々から愛されていた領主だった象徴とも言えるのではないでしょうか。

 

 


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井伊家発祥の井戸

 

 

龍潭寺から南側の田園地帯の方へ進んで行くと、白壁に囲まれた「井伊家発祥の井戸」があります。今でこそ道がなく、まさに田んぼのど真ん中にありますが、龍潭寺の参道の延長線上にありますので、昔は関係していたのかもしれません。

 

 

 

伝承では、1010年の正月に井伊谷の八幡宮神主が、御手洗いの井戸の傍らに捨てられた男の子を発見したと言われています。その子の顔立ちは壮麗で、瞳が明るく、貴人の相が顔に出ていたとされ、しばらく神主に育てられました。

 

 

 

そして7歳のときに遠江国司・藤原共資の養子となり、藤原共保と称しました。その後、井伊谷に館を構えて名字を「井伊」と改めて井伊共保と名乗り、井伊家の初代とされます。

 

 

 

井伊直虎のご先祖様にあたる人ですね。そのほか、井伊直虎には直接関係はありませんが、南北朝時代に井伊家は南朝方の拠点となり、後醍醐天皇の皇子である宗良親王を井伊谷へ迎え入れました。

 

 

 

その宗良親王をご祭神としている「井伊谷宮」があります。本殿の裏手には宗良親王のお墓もあり、現在は、宮内庁の管轄となっています。この井伊谷宮には全国でも珍しい「日本絵馬史料館」があり、各地の珍しい絵馬が展示されています。

 

 

 

井伊谷宮オリジナルの縁結び絵馬はハートの形をしていて、参拝客には好評のようですね。あなたも興味があれば一度参拝してみてはいかがでしょうか。

 

 


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