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井伊直虎の家紋は橘なの!?その由来とは?

家紋

 

 

このページは、井伊直虎の家紋についてみていきます。また、その由来についても詳しくお伝えしていきたいと思います。井伊直虎(井伊家)の家紋は、橘の葉や実が描かれた「橘紋」になります。

 

 

 

日本には25000種類と言われるほど多くの家紋が存在しますが、井伊直虎の家紋である「橘紋」は、日本十大家紋の一つに数えられるほど多くの家で使われています。

 

 

 

ただ「橘紋」といっても、すべての家の家紋が同じ模様なのではありません。中央に橘の果実が一つ、その周りに五枚の葉を配した「橘紋」が基本形になりますが、葉が三枚の模様もあります。

 

 

 

また、木に三枚葉の橘が三つ描かれている「立ち三本橘」など「橘紋」には60種類の模様があります。その中でも、井伊直虎の家紋は「丸に橘」と呼ばれ、中央に橘の果実が一つ、その周りに五枚の葉を配した基本形の橘が描かれたものになります。

 

 

 

橘という植物は、日本に古くから野生していた日本固有のカンキツ類です。本州の和歌山県、三重県、山口県、四国、九州の海岸に近い山地にまれに自生しています。古来、橘は常緑の葉が注目されその常緑が”永遠”を表し、生命力や長寿の象徴です。

 

 


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井伊直虎の家紋の由来は?

 

 

井伊直虎の先祖、井伊家の初代当主は「井伊共保(いいともやす)」という人物になります。伝承では、1010年の元旦に井伊谷の八幡宮神主が、御手洗いの井戸の傍らに捨てられた男の子を発見したと言われています。

 

 

 

その男の子こそが後の井伊共保で、捨てられていた男の子の近くに立派な橘が咲いていたとも、男の子が橘の木をしっかり握っていたとも言われています。その男の子の産衣の紋を橘にしたのが井伊家の橘紋の始まりと伝わっています。

 

 

 

その後、井伊家では「井桁に橘(漢字の”井”の中に橘を描いた紋)」を家紋とするようになりましたが、井伊直虎の時代には「橘紋」と「井桁紋」とを二つに分け、それぞれを使い分けていたようです。

 

 

 

旗紋としては「井桁紋」を使い、家紋を集録した史料「見聞諸家紋」でも「井桁紋」が掲載しています。ただ、江戸時代の井伊直政以降は「丸に橘」を使用しており、井伊家が使う「丸に橘」のことは「彦根橘」とか「井伊橘」とも呼ばれていました。

 

 


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井伊直虎以外に「橘紋」を使っていた歴史上の人物はいるの?

 

 

「見聞諸家紋」には、井伊直虎よりも前の時代(室町時代)に摂津の薬師寺氏(丸に三つ立ち橘)と播磨の小寺氏(藤巴に三つ橘)が掲載されています。

 

 

井伊直虎とほぼ同時代の戦国時代に橘紋を用いた戦国大名としては、土佐の安芸郡から起った安芸氏が知られています。さらに長曽我部氏、新開氏など四国の諸将の家紋が「見聞諸家紋」には収録されています。

 

 

 

四国の諸将に橘紋が多いのは、橘が四国には多く自生したのかもしれません。そのほか、有名な戦国武将としては、山中鹿之助や黒田官兵衛の父・黒田職高が小寺氏に仕えた際に下賜されて橘紋を家紋としていました。

 

 

 

また、武将ではありませんが、「井桁に橘紋」は、日蓮宗の寺紋としても知られています。宗祖・日連が井伊家の一族出身であることが由来とされています。

 

 


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