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井伊直虎の家系図には誰がいるの?

太鼓

 

 

このページは、井伊直虎の家系図についてお伝えしています。いったい井伊直虎の家系にはどんな人物がいるのかみていきたいと思います。井伊直平(いいなおひら)は、井伊家の20代目宗主になります。

 

 

 

1479年生まれという説と1489年生まれという説がありますが、1563年に亡くなったため、享年は75歳、もしくは85歳になります。井伊直虎にとっては、曾祖父(ひいおじいさん)にあたります。

 

 

 

 

井伊直平は、1504年に井伊家20代宗主として家督を相続しますが、それ以前から井伊谷地域では、今川家との戦いが激しさを増していました。

 

 

 

井伊直平たちの奮戦むなしく、1513年に井伊家は今川家との戦いに敗れ、今川家の監督下に置かることになります。それは、直平にとっては苦渋の人生の始まりになります。

 

 

 

家督を譲った嫡男の21代宗主・直宗は今川家の命令で田原城攻めに参戦し、討死。22代宗主となった孫の直盛(井伊直虎の父)も桶狭間の戦いで死んでしまいます。さらに他の息子たちや23代・直親(井伊直虎の元許嫁)は今川家に誅殺されてしまいます。

 

 

 

井伊家に残された男子は、1歳になろうかという虎松(後の井伊直政)と直平だけになってしまいます。直平は、当時としてはかなり高齢となる74歳(もしくは84歳)のときに虎松の後見人となります。

 

 

 

それでも今川家は容赦しません。1563年に井伊家に忠誠心を示すように要求し、社山城(やしろやまじょう)の天野氏を討つように出陣命令を出します。直平はこれを受けて出陣しますが、進軍途中に急死します。

 

 

 

死因については、今川方の毒殺説もありますが、確かなことは分かっていません。井伊直平の死によって、井伊家には2歳になる虎松しか男がいなくなり、おんな城主・井伊直虎が誕生することになるのです。

 

 


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伊直虎の軍師にして、僧・南渓瑞聞

 

 

井伊直平には5人の男子がいましたが、次男は仏門に入り、井伊家菩提寺の龍譚寺(りょうたんじ)の住職となりました。戦国時代には、今川家の太原崇孚(たいげんそうふ)、北条家の板部岡江雪斎、毛利家の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)など。

 

 

 

他国との交渉や国の内政方針、戦の軍略に携わる「軍師」として働いていた僧たちがいました。僧であるがゆえに武芸を学ぶ必要がなく、仏教や兵法など学芸を学ぶことに専念できたのでしょう。

 

 

 

戦国時代の井伊家にとって、南渓和尚こそが軍師だったと言えるのではないでしょうか。南渓和尚が井伊家の存続のためにとった大きな策略は3つあります。一つ目は「亀之丞(井伊直虎の許嫁にして、後の23代宗主・井伊直親)の脱出」。

 

 

 

1544年、井伊直平の子(南渓和尚の兄弟)である直満・直義兄弟が今川家に誅殺されると、直満の子・亀之丞にも殺害命令が出されました。亀之丞は井伊谷を脱出し、今川家の手が届かない信州まで逃亡します。

 

 

 

国衆の松岡氏に保護され、信州で10年間を過ごすことになります。そして、井伊谷では亀之丞を死んだことにし、信州に逃げ込んだことは極秘にします。これら全ては南渓和尚の指示だったと言われています。

 

 

 

直虎はこのことをきっかけに出家するのですが、南渓和尚は、そのときに二つ目の策を用います。直虎の出家に際しては「次郎法師」という”僧扱い”にします。当時は”尼”として出家すると、還俗することができない決まりでした。

 

 

 

そのため「次郎法師」という僧として出家させることで、言わば井伊家に保険をかけたのです。三つ目は「虎松(後の井伊直政)を徳川家臣の養子とし、家康に出仕させた」ことでしょう。

 

 

 

信州に逃れていた亀之丞は23代宗主・井伊直親として井伊家を継ぎますが、やはり今川家に誅殺されてしまいます。その際、またも子供である虎松に殺害命令が出されます。南渓和尚は尾張の鳳来寺に虎松を逃し、時を待ちます。

 

 

 

井伊直親の13回忌に父を弔うため、虎松が鳳来寺から龍潭寺へやって来ると、南渓和尚は直虎たちと相談し、鳳来寺には帰さず、徳川家康に仕官させることに決めます。

 

 

 

そして、虎松を徳川家の家臣であり、虎松の実母の再婚相手である松下清景の養子とします。いったん井伊家は滅びてしまいますが、鷹狩に行くため浜松城を出た徳川家康が虎松に会い、一目で気に入ると自分の側近とします。

 

 

 

それがきっかけで、「井伊」への復姓を許され、井伊家再興となるのです。南渓和尚は、井伊家の男が次々に死ぬのを目の当たりにし、直親・直政親子を救い、井伊家存続のために知恵を絞り、奔走したのです。

 

 


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徳川家康の正室・築山御前

 

 

徳川家康は、今川家の人質時代に正室を迎えています。本名は不明ですが、築山御前、築山殿と呼ばれる女性で、今川義元の養女と結婚します。「井伊年譜」によると、今川家一門の関口親永と井伊直平の娘の間に生まれたのが、築山御前とされています。

 

 

 

ちょっとややこしいですが、直虎にとっては「おじいさん(井伊直宗)の妹の子供」という関係になります。つまり、直虎の父・直盛と築山御前がいとこ、直虎と家康の子供たち、例えば江戸幕府2代将軍・秀忠は、はとこということになります。

 

 

 

年齢的には家康と直虎では、直虎の方が年上でしたので、築山御前とは、ちょっと年上の親戚ということになります。当時の記録では、直虎と築山御前が会ったり、仲が良かったりといったものはありません。

 

 

 

ただ、大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、菜々緒さんが築山御前を演じることが発表されており、直虎と同じく戦国時代を生き抜く女性として重要な役どころを務めるのではないでしょうか。

 

 


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