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真田丸とは何のことなの?大阪城と関係があるの?

大坂城

 

 

1月10日からスタートしているNHKの大河ドラマ「真田丸」。その大河ドラマの名前にもなってはる「真田丸」って何?って思う人も多いと思うねんな。

 

 

 

事実、私はつい最近まで「真田丸」のことを真田信繁幸村)の幼少期の名前やと思っててんね。せやけど、それは恥ずかしくなるほど大きく間違っててんね。真田丸は、大阪城に構築された曲輪やってんな。

 

 

 

大阪城は豊臣秀吉(小日向文世)が旧石山本願寺跡地に建築した、難攻不落を誇った平城やってんな。旧石山本願寺は、一向宗が10年にわたって織田信長(吉田鋼太郎)に抵抗し続けた地やんね。

 

 

 

せやから、石山本願寺こそが織田信長が天下統一するための最大の障害だったと見る向きもあるほどやんな。

 

 


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大阪城は黒田官兵衛が作った難攻不落の城?

 

 

当然、織田信長の家臣だった豊臣秀吉もこの地に目を付けたことは言うまでもあれへんねな。この難攻不落の地であれば、城を築いて本拠地としても、日本国内の大名たちを威服させるのに十分だと思ってんね。

 

 

 

なお、この大阪城の縄張りすなわち城の礎を段取りしたのは、城づくりの名人と言われた黒田官兵衛孝高と伝わってんねな。この大阪城は確かに川により周囲を堀で囲まれたところではありますが、ただ1カ所だけ南側のみが空堀になっててんね。

 

 

 

大阪城の弱点を埋めたのが真田丸

 

 

戯れで豊臣秀吉が徳川家康(内野聖陽)を始めとする重臣たちに、この城つまり大阪城を落としたければ、南側から攻めるのがよいと言ったとも伝わります。

 

 

 

後に豊臣家が関ヶ原の戦い以後、徐々に影響力を失う中で、浪人となった各地の大名や家臣たちがこの大阪城に集まるようになんねな。

 

 

 

そのとき真田信繁(堺雅人)は、城の南側が防御に弱いと進言して、自ら出城を築いてんね。それが、世に言う「真田丸」やねんな。

 

 

 

真田丸とは、大阪城の防御の柔い箇所に作られた出城であり、ここを守ることで防御に弱い箇所で唯一の弱点を見られた箇所をしっかりと守ることになってんねな。

 

 


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真田丸がなければ大阪冬の陣で終わっていた?

 

 

真田丸とは、大阪城の防御を高める役目も持っていたわけやねんな。後に大坂冬の陣でこの真田丸の影響で徳川勢は散々な目にあうことになんねな。この真田丸があったからこそ、真田信繁が率いる集団が粘り強く戦えてんね。

 

 

 

徳川家康を翻弄するのに、この真田丸が必須やってんね。それがなければ大坂冬の陣で決着していた可能性があるとも言われるぐらいやねんな。

 

 

 

元々、籠城戦における戦い方のうまさは、真田信繁の父・真田昌幸(草刈正雄)が卓越した戦いを誇る名将やねんな。せやから、真田昌幸を見て育った真田信繁は成長し、その戦法を受け継いだともいえんねんな。

 

 

 

せやから、籠城戦で不利な地を自ら守ると言い出したことは、何ら不思議なことではあれへんというわけやんな。大河ドラマ「真田丸」でも、この大阪冬の陣で描かれる真田丸はドラマのクライマックスに向けて楽しみなシーンの一つやんな。

 

 

 

堺雅人さんがどのように演じるのか?はたまた、脚本の三谷幸喜さんがどのようなシーンを描くのか、考えたらワクワクしてきてんな。「真田丸」が進んでいくに連れてその気持ちは高まっていきますね。

 

 


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