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千利休が切腹した本当の理由を暴露します!!

お茶

 

 

自由都市堺の豪商にして侘び茶の始祖であった千宗易。またの名を千利休(桂文枝)が、時の権力者・豊臣秀吉(小日向文世)から突然蟄居を命じられたのが天正19(1591)年。

 

 

 

前田利家や古田織部など多くの大名たちが奔走・懇願にも関わらず、千利休は京都にて切腹させられてしまいます。

 

 

 

随分古い大河ドラマですが『黄金の日々』にて、鶴田浩二さんが荘厳に演じていらっしゃいましたし、2016年の大河ドラマでは桂文枝さんが演じてますね。

 

 

 

古田織部の慌てぶりはマンガ『へうげもの』にも詳しかったですよね。ところが豊臣秀吉が千利休を切腹に追い込んだ理由というのが、じつはよくわかっていなかったりします。いろんな切腹の理由があるのでみていきます。

 

 

千利休が切腹した理由の通説

 

 

 

 

千利休が切腹した理由の所説には下記のようなものがあります。ちなみに2016年の大河ドラマ「真田丸」は@の切腹理由をとるスタンスですね。

 

 

 

@大徳寺楼門改修の際、自分自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を豊臣秀吉に通らせたため。

 

 

A豊臣秀吉が千利休の娘を側室にと企んだが、利休はあっさりと拒否したから。

 

 

B朝鮮出兵に反対する千利休が豊臣秀吉のやり方に口を挟んだから。

 

 

 

このように諸説では、千利休の切腹の理由は語られていますが、どれも決定打には至っていない状況です。恐らくそこには歴史の中で、言葉にして語られてこなかった何かが本当は切腹理由としてあるのです。

 

 

 

豊臣秀吉は織田信長に倣い、風流を学ぼうとしていました。必死になっていました。権力を手にし、エラくなっていくにつれ、それに相応しい知性と教養、風雅とを身につけようとしていたのでしょう。

 

 

 

だから当初は、信長の茶の師でもあった千利休に三顧の礼を尽くし、他の家来に決して与えなかった特別扱いをします。千利休も馬鹿な人ではありませんから、権力者の顔色を窺い、鼻の下をくすぐることを平気でやっていたでしょう。

 

 

 

実は千利休は豊臣秀吉を軽蔑していた?

 

 

しかしその実、千利休の内側には、成り上がり者であった豊臣秀吉に対する侮蔑が、どうしても消えなかったのではないでしょうか。千利休としてはその内面を隠していたねんけど、それが結果として切腹理由になったのかもしれません。

 

 

 

千利休の心の中では、「天下人だあ?お前さんなんぞ、尾張の百姓と紙一重の足軽出身ではないか。泥水と岩清水の区別もつきかねないお前さんが侘び寂びを、風流を語るかね。フン」

 

 

 

そんな思いが目の端に、唇の隅に、言葉の奥底に現れては消えていたのではないでしょうか。豊臣秀吉は成り上がり者ですが、人を見る目はホンモノでした。

 

 

 

だからこそ彼は、己の味方になってくれる人間、頼るに値する人間を確実に見抜き、出世の武器としていけたのです。そんな彼に、千利休の抱く軽侮が見抜けない訳はありません。そこを千利休が見誤っていたのです。

 

 

 

 

秀吉が切腹させた理由は千利休の馬鹿にした態度?

 

 

それでも豊臣秀吉は気づかないふりをして、千利休を師としてもてなし続けます。そして己の風雅の完成形を見てもらおうと建立したのが、あの聚楽第でした。

 

 

 

そんな豪奢な建物を見上げる場所に、千利休が作ったのは僅か3畳、出入りするのに頭すら上げていられない、謂わば草庵を造るのです。

 

 

「何ですかその悪趣味なキンピカの部屋は。そんなもののどこに侘び寂びが宿るというのですか。成り上がり者の思いつくものといえば、せいぜいその程度なのが笑えますね」 千利休の内心のせせら笑いが聞こえてきます。

 

 

 

そして、千利休の内心や態度に遂に、豊臣秀吉の堪忍袋の尾も切れたというわけでしょう。罪状はあってないようなものです。千利休を切腹させる理由なら、上記のものがいくらでもあったでしょう。

 

 

 

馬鹿にされ続けた豊臣秀吉のこれまでの憤懣が一気に爆発した形です。一条戻り橋にて、師であった千利休の首を晒しただけでなく、大徳寺に飾った千利休自身の像にその首を踏ませたという扱いに、秀吉の怨嗟、憎悪の深さが伺えるようです。

 

 

 

その6年後、死に瀕した豊臣秀吉の枕元に、千利休はどんな顔をして立っていたのでしょうね。「いらっしゃ〜い」とは言わなかったでしょうけどね(笑)どこか千利休の怨念めいたものがあるかもしれません。

 

 

 

千利休のからすると、権力者とはいえ猿にどんな理由があれ切腹を命じられるとは思ってなかったんでしょうね。それぐらい、千利休は豊臣秀吉を上手に操っていた。そう勘違いしていたのが切腹理由かもしれません。

 

 

 

周囲に嫌われていたのが間接的な切腹理由!

 

 

真田丸の中では、北条に武器を売っていたことがわかり問い詰める石田三成(山本耕史)、や大谷吉継(片岡愛之助)を相手にしても秀吉はおぬしらのいうことを聞くのかのう。

 

 

 

そういう場面がありますが、まさにそのおごりが間接的な切腹理由になったのではないでしょうか。こんな千利休と秀吉や、千利休と石田三成と千利休と大谷吉継なんかの関係を考えていくと歴史がとっても楽しくなりますよね。

 

 

 

歴史的には千利休はどちらかというと悲劇的な扱いをされていますが、そこには切腹を命じられた当然の理由があったのではないでしょうか?千利休という男を見ているとどうしてもそのように感じてしまいます。

 

 

 

あくまで推測になってしまいますけどね。千利休の切腹した理由の内情は、秀吉に対する馬鹿にした態度。それが積み重なって切腹を命じられる。そんな理由じゃないかなって予想します。

 

 

 

それに、加えて石田三成や大谷吉継らの秀吉の周囲を固めるものたちにも嫌われていた。それが、間接的に千利休の切腹に追い込んだ。周囲も助けてくれなかった。そういうことなのではないでしょうか。

 

 

 

この2つが切腹理由かどうかは予想でしかありませんが、少なくても千利休は秀吉を上手に操ろうとして、最終的にそれに失敗した。そのために、切腹せざる得なくなった。その理由には千利休のおごりがどこかにあったのではないでしょうか。

 

 

 

中らずと雖も遠からず。ここで、暴露させていただいている内容はそんな情報になると思います。いかがだったでしょうか?

 

 

 

 

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