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真田幸村の有名なエピソードと言えば?

月

 

 

真田幸村(堺雅人)といえば、大坂の陣での活躍から「日本一の兵」と呼ばれていたことがあまりにも有名ですよね。ゲームや漫画、アニメなどでも大人気の戦国時代の武将です。

 

 

 

そんな彼に纏わるエピソードをいくつか紹介させていただきたいと思います。真田幸村といえば、大坂冬の陣での真田丸の戦いが有名です。大坂城は堅牢な城でしたが、唯一の弱点であった三の丸南側に真田丸と呼ばれる出城を築きました。

 

 

 

その出城に長宗我部盛親とともに立て篭もり、徳川方の兵をおびき寄せては鉄砲で攻撃するということを繰り返し、徳川方に大損害を与えました。この合戦によって初めて世に「真田幸村」の名が知れ渡ることとなったのです。

 

 

 

 

家康を自害寸前まで追い詰めた幸村!

 

 

堀の埋め立てにより籠城ができなくなり、野戦しかできなくなった大坂夏の陣では、野戦が得意だった徳川家康(内野聖陽)を追い詰め、自害も覚悟させたほどだといいます。

 

 

 

懸命に奮戦した真田隊でしたが、安居神社で休息をとっていたところを西尾宗次に発見され最期を迎えました。正直なところ、家康は幸村にここまで追い詰められるとは思っていなかったでしょう。

 

 

 

家康が恐れていたのは幸村の父である真田昌幸(草刈正雄)だったので、大坂城に真田が入城したと耳にした時「父か子か」と家臣に尋ね、子の幸村だと聞くと安堵したというのは有名な話です。

 

 

 

しかし、冬の陣での幸村の奮戦を知ると、幸村のもとに徳川方にいる兄・信之(大泉洋)や叔父の信尹(栗原英雄)を使者として、徳川方に付くよう説得をこころみたそうです。

 

 

 

はじめは十万石、次に一国を与えるとまで使者を通して伝えましたが、幸村は不忠ものにはならないとはねのけています。家康が幸村をどれほど危惧していたか、また幸村が忠義に厚かったかがよく分かるエピソードです。

 

 

 

そして幸村の首ですが、彼の武勇にあやかろうとした武将たちが首から髪の毛を抜いて持ち帰ったというエピソードもあります。彼がどれほどの武将であったかをよく知ることができますよね。

 

 

 

 

幸村の子孫はどうなってるの?

 

 

真田幸村の子供たちについて、最後に紹介させていただきます。幸村には子供がたくさんおり、長男の幸昌は大坂の陣で豊臣秀頼(中川大志)、淀(竹内結子)殿らとともに自害しました。

 

 

 

しかし、幸昌以外の子供たちは伊達政宗の重臣・片倉重長によって保護されました。長女の阿梅は重長に嫁ぎ、次男・守信ははじめ、片倉姓を名乗りますが、後に仙台真田家として現代まで続いています。

 

 

 

華々しい最期を飾った幸村ですが、彼の血が途絶えることなく現代まで続いているというのは大変感慨深いですね。

 

 

 

 

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