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真田幸村と前田慶次の関係を暴露します!!

森

 

 

真田幸村(堺雅人)と前田慶次は共に現在でも人気のある戦国時代のヒーローですが、この二人に関係があったかは分かりません。

 

 

 

親子程年齢の離れた二人ですが、武将同士どこかで何らかの接点があったかも知れません。まず一つ目の可能性ですが織田・徳川の武田討伐戦です。

 

 

 

前田慶次はこの戦に滝川一益(段田安則)の配下として参戦しています。ですが、当時の真田家は武田家の部将でしたが上野に居城し上杉家に備えるという役割であった為、甲斐の戦には参戦していません。

 

 

 

そして、何より真田幸村の年齢が15才(若くは12才)ですので元服していたとしても初陣には酷なので可能性は低いことでしょう。

 

 

 

 

いくつかの可能性!?

 

 

その次の可能性は真田幸村の二回目の人質生活である豊臣家時代です。当時の豊臣秀吉(小日向文世)は幸村だけでは無く自分に忠誠を誓った大名の妻子、または本人を京都や大阪に住まわせています。

 

 

 

前田慶次もこの頃は京都で「傾いて」いた時期で、秀吉の前で猿のモノマネをしたという逸話が残っているのがこの頃でしたので、この時期に関係はあったかも知れません。

 

 

 

もし、関係は無かったとしても、その場に居合わせていたのであれば随分面喰らったことでしょう。なので、2つの目の可能性としては幸村の人質時代になります。

 

 

 

共に戦ったことがある可能性がある?

 

 

 

 

最後に真田幸村と前田慶次、この戦国時代の二人のヒーローが共に戦った可能性のある合戦が一つだけあります。豊臣秀吉の小田原攻めです。この時は両名共豊臣方の部将として参戦しており味方同士として馬を並べて戦った可能性があります。

 

 

 

この二人が邂逅を持つ可能性があるのはこの辺りまでです。その後の関ケ原の合戦では共に西軍に属します。真田幸村は信州、前田慶次は盟友・直江兼続(村上新悟)の山形攻めに参加をしています。

 

 

 

別々の戦場でありながらも石田三成(山本耕史)の敗北という形で共に敗戦を迎える事になります。この戦いの頃には、すでに60才台となっていた前田慶次はその後米沢で隠棲し静かに生涯を終えたと伝えられています。

 

 

 

一方の真田幸村は長い高野山での生活から一躍勇名を馳せ、語り継がれる事になる大阪の陣へと歩みを進めていくのです。こういった形の接点の可能性が二人の英雄にはあります。

 

 

 

 

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