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真田幸村と信長の出会いはどんなものだったの?

夕日

 

 

真田幸村(堺雅人)の生年は1567年(一説には1570年)で父の昌幸(草刈正雄)は武田家の部将として越後への備えの為上野国に居城していました。

 

 

 

その為、武田家と織田家の争いにはあまり関与はしていません。また武田家と織田家は長年敵対関係にあった為、両家の交通というものもありませんでしたし、真田家が独自に織田家との接点を持っていたかも分かりません。

 

 

 

ですので真田幸村信長の間に出会いや接点があったのかは定かではありません。定かではありませんが、可能性が全く無いというわけでも無く、もし出会いがあった可能性があるとするならば1582年の武田家滅亡の際になるでしょう。

 

 

 

その時真田幸村15歳(または12歳)早ければ元服を済ませていたかも知れません。武田家が滅亡した後の真田家は織田家に恭順して所領を安堵されます。

 

 

 

 

大河でも描かれている幸村と信長の遭遇!

 

 

その時に父・昌幸は信長に謁見しているはずですから、幸村もその時に同席している可能性はあります。NHKの大河ドラマ「真田丸」でもそのように描かれていますね。

 

 

ですが、その三か月後には織田信長(吉田鋼太郎)は本能寺の変に倒れます。本能寺の変の前でも信長が甲斐・信濃に入った期間はごく短いものです。それを考えると、真田幸村と織田信長の邂逅というのはあまりにも短い期間です。

 

 

 

出会いがあったとするならば才のある者同士何か感じるものもあったでしょうが、記録として残っている文献などはありませんので現在ではそれも全て謎です。

 

 

 

真田幸村と信長の共通点とは?

 

 

 

 

真田幸村も織田信長も生まれた年代こそは違いますが、戦国時代を代表する英雄達です。織田信長は志は成らなっかたものの戦乱の世を終わらせる為に天下統一を目指し戦い続けました。

 

 

 

真田幸村もまた一族の為、義の為に戦い続け、戦国の世の終わりを告げる戦い、大阪の陣で華々しい戦いを演じ、自らも散る事で戦国の世に終止符を打ったのです。

 

 

 

生まれた時代も違い、思想も相容れないだろう二人ですがその生き方には共通する部分もあります。もしこの二人が出会っていてその後の歴史に何らかの影響をもたらしていたらと想像するのも悪くはありません。

 

 

 

 

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