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西郷隆盛と坂本龍馬が犬猿の仲だったって本当ですか?

坂本龍馬

 

このページは、西郷隆盛坂本龍馬との関係について詳しくお伝えします。二人が犬猿の仲にあったという噂は本当なのかみていきます。

 

 

 

幕末維新で語ることの欠かせない西郷隆盛と坂本龍馬。坂本龍馬は大政奉還後、謎の襲撃者に暗殺されてしまいます。いったい誰が龍馬を暗殺したのか、その犯人は未だに謎となっています。

 

 

 

そして、この暗殺の黒幕が西郷隆盛であったという説が存在します。この説が本当ならば、坂本龍馬は暗殺されるほどに、二人は犬猿の仲だったのでしょうか。

 

 

 

そこで、今回は、坂本龍馬を暗殺したのが西郷隆盛だったという仮定に基づき、二人が犬猿の仲だったのかどうか検証します。坂本龍馬と西郷隆盛の関係についてまずはおさらいしておきましょう。

 

 

 

 

西郷隆盛と坂本龍馬の関係

 

二人が最初に出会ったのは、明確な時期としては定かではありませんが、1864年の八月も半ばのことと考えられています。西郷隆盛が勝海舟に大阪で面会したあとのことです。

 

 

 

坂本龍馬は、土佐を脱藩したあと、神戸海軍操練所を創設した勝海舟のもとで海運術を学んでいました。勝海舟がのちの回顧で述べたことによれば、勝が坂本龍馬に西郷隆盛を紹介したということです。

 

 

 

西郷隆盛と面会した坂本龍馬は、「西郷は分からない人物だ。釣鐘に例えるなら、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。

 

 

 

ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念だった」と感想を漏らしています。ちなみに、これを聞いた勝海舟は、「評される人も評される人。評する人も評する人」と言っています。

 

 

 

そのあと、神戸操練所が閉鎖することになり、居場所をなくした坂本龍馬を心配した勝海舟は、西郷隆盛に薩摩藩で世話をしてもらえるように取り計らうことになります。

 

 

 

薩摩の後ろ盾を得た坂本龍馬は、1865年には日本初の株式会社『亀山社中(後の海援隊)』を立ち上げ、交易の仲介で利益を得ながら国事に関与し、大政奉還を経て、近江屋で暗殺されるにいたります。

 

 

 

それではいよいよ核心についてです。西郷隆盛と坂本龍馬が犬猿の仲だったと考えられる理由は以下の2点です。

 

 

 

 

新政府への徳川の関与をめぐって意見が対立していた?

 

2017年に入って、坂本龍馬の新史料が発見されたという話題は記憶に新しいかと思います。史料は、坂本龍馬が暗殺される五日前に書かれた書簡です。

 

 

 

そこには、徳川慶喜の大政奉還を受けて、「新国家」という言葉が使われており、幕末の時代においてはなじみのない「新国家」という言葉が使われています。

 

 

 

坂本龍馬が新たな国家の樹立を目指して奔走していたことが裏付けられる貴重な史料となっています。坂本龍馬の目指す新国家とは、徳川慶喜を議長にすえての新国家です。

 

 

 

しかし、対する西郷隆盛は、完全に徳川家を排除した、天皇を中心とする政府を目指していました。そのため、薩摩藩は幕府を武力で徹底的に倒そうとします。

 

 

 

そうなると、西郷隆盛にとっての坂本龍馬は、親しい間柄であったとしても、政治的な方針においては犬猿の仲とも言え、暗殺する動機になるのではないでしょうか。

 

 

 

坂本龍馬がイギリスのスパイだったから?

 

坂本龍馬がイギリスのスパイだったのではないか、という説があります。脱藩後の坂本龍馬が、金銭的に困窮していないことや、留学もしていないのに世情に詳しい。

 

 

 

それがイギリスのスパイであることを示唆しています。通常であれば、脱藩した藩士というのは、経済的にも社会的にも何も後ろ盾がない状況で、困窮しているものです。

 

 

 

しかし、龍馬は居場所に困りこそすれ、経済的に困っている様子が見受けられないのです。また、坂本龍馬は海外に留学はしていませんが、その割に、妙に国際情勢に精通しています。

 

 

 

このことから、坂本龍馬はイギリスと関わり、スパイのような立場にあったからではないかと推測ができるのです。その頃、日本に対して大きな影響力を持っていた人物が、武器商人のトーマス・グラバー、駐日全権公使のハリー・パークス、そして外交官のアーネスト・サトウです。

 

 

 

坂本龍馬は武器商人であるトーマス・グラバーともっとも親しい間柄にありました。そして薩長同盟を坂本龍馬が実現させたのも、イギリスが影で動いていた可能性があります。

 

 

 

そもそも、坂本龍馬が薩長同盟を実現させた、という事実に、腑に落ちない点がいくつかあるのです。薩摩と長州は元来、犬猿の仲でした。西郷隆盛と長州の木戸孝允は、最後まで同盟を結ぶのためらっていました。

 

 

 

同盟が破談しかけたそのときに、坂本龍馬がやってきて同盟に取り付けたという始末です。しかし、脱藩藩士であり、一介の郷士(農民に近い侍を指す)である坂本龍馬が、薩摩藩の最高幹部クラスにある西郷隆盛や大久保利通を説得する、ということが可能だったのでしょうか。

 

 

 

 

坂本龍馬の暗殺が起きた理由

 

坂本龍馬を間に立てて、イギリスと良好な関係を築いておけば、薩摩や長州にとっても最新兵器が手に入り、その分倒幕に向けて優位に立てるメリットができます。

 

 

 

それを考慮すれば、薩長は否が応でも坂本龍馬の提案を呑まざるを得ないのではないでしょうか。坂本龍馬はイギリスの後ろ盾があったからこそ、生き延びることができたとも言えます。

 

 

 

しかし、坂本龍馬は、徐々にグラバーやパークス、サトウらと疎遠になっていきます。グラバーは、商売人として活動する坂本龍馬を支援していたのであり、徐々に政治に深く関わるようになった坂本龍馬からは、距離を置くようになります。

 

 

 

パークスやサトウも、勝手な行動をとる坂本龍馬に対して、日記から邪魔な存在だと思っていた節も読み取れます。坂本龍馬の暗殺は、3人と疎遠になった矢先に起こりました。

 

 

 

西郷隆盛の方針である武力倒幕と反対の意見を持ち、加えて予想外の行動を取る坂本龍馬は、もしかすると西郷隆盛にとっては脅威となりえたのかもしれません。

 

 

 

また、西郷隆盛は、1867年にアーネスト・サトウと会談した折、サトウが西郷隆盛に倒幕の支援を申し出たところ、西郷隆盛はその提案を断っています。

 

 

 

日本の改革は日本人の手で行うべきという考えがあったようで、西郷隆盛は、イギリスの借りを作りすぎることで内政干渉に発展することを危惧していたかのようでした。

 

 

 

そう考えると、もし坂本龍馬がイギリスのスパイだったとして、西郷隆盛が暗殺を指示する理由も納得できます。さらに、イギリスの後ろ盾もなくなったとあれば、暗殺を容易に行うこともたやすかったはずです。

 

 

 

以上が、坂本龍馬が西郷隆盛に暗殺された二つの理由です。しかし、決定的な史料が見つからない以上、本当のことは分かりません。

 

 

 

よく知られる新撰組や、京都見回組による暗殺説も、坂本龍馬の死後60年後に言われたものであり、真相は依然として不明です。今後の新史料の発見によって、坂本龍馬暗殺の真実が明かされる日が来るかもしれません。

 

 

 

 

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